臺灣詞人厲曼婷將《花》重新填詞成為《花心》。歌詞中表達對'花'的珍惜、愛慕,希望能與'花'牽手同行,周華健將此唱得大紅大紫,並成為其歌唱生涯的始終保持曲目。聽說當(dāng)年周華健在聽了他的《花》后感動不已,遂買下這首歌的中文版權(quán)。不過周華健情歌版的《花心》,唱的是“花期尚短,愛情快來”的惆悵,與原曲對“美好生活的向往”是兩個風(fēng)格。 不過這首歌真正在日本又被人們所熟悉,應(yīng)該是在1995年時,喜納昌吉以這首曲子得到‘遠藤實歌謠大賞’之后,當(dāng)年1995又被一部反戰(zhàn)的老片重拍的‘姬百合之塔’(ひめゆりの塔)當(dāng)成主題曲,而《花》這首歌則被界定為歌頌世界和平的日文歌,這首歌應(yīng)該也是第一首在整個日本開始流行的純正的沖繩歌曲。 其實Mint第一次聽原版覺得不怎么好聽,還是花心好聽,后來為了校對歌詞有多聽了幾遍,還是挺有味道的,有一種很不一樣的感覺。另外,本期的中文歌詞沒找到好的,自己參考已有的重新翻譯了下,第一次嘗試翻譯,也希望大家提些意見~ 《花》(すべての人の心に花を) 詞:喜納昌吉 曲:喜納昌吉 歌:喜納昌吉 川(かわ)は流(なが)れて どこどこ行(ゆ)くの 人(ひと)も流(なが)れて どこどこ行(ゆ)くの そんな流(なが)れが つくころには 花(はな)として 花(はな)として 咲(さ)かせてあげたい 泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か 花(はな)を咲(さ)かそうよ 涙(なみだ)ながれて どこどこ行(ゆ)くの 愛(あい)も流(なが)れて どこどこ行(ゆ)くの そんなながれを この胸(むね)に 花(はな)として 花(はな)として 迎(むか)えてあげたい 泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か 花(はな)を咲(さ)かそうよ 花(はな)は 花(はな)として 笑(わら)いもできる 人(ひと)は 人(ひと)として 涙(なみだ)も流(なが)す それが自然(しぜん)の歌(うた)なのさ 心(こころ)の中(なか)に 心(こころ)の中(なか)に 花(はな)を咲(さ)かそうよ 泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か 花(はな)を咲(さ)かそうよ 泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か 花(はな)を咲(さ)かそうよ 泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か 花(はな)を咲(さ)かそうよ 河水流淌 不知流向何方 人也漂泊 不知漂至何處 在那漂流所至之處 會有鮮花 美麗的花 為你迎風(fēng)開放 盡情哭泣吧 歡笑吧 會有一天 總有一天 鮮花會盛開綻放 淚水流淌 不知流向何方 愛也漂泊 不知漂至何處 在我心頭的這流動中 會有鮮花 美麗的花 迎接你的到來 盡情哭泣吧 歡笑吧 會有一天 總有一天 鮮花會盛開綻放 花兒有花兒的微笑 人也有傷心的眼淚 但那是大自然的歌聲 讓花兒在你的心中 在你的心底盛開吧 盡情哭泣吧 歡笑吧 會有一天 總有一天 鮮花會盛開綻放 ————介紹和歌詞均來自網(wǎng)絡(luò)整理
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